酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

GDFの話 ~1987年1月その2~

G.D.FLICKERS

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1987年の手帳にはスタジオ練習とライブの予定が書いてあった。
私は就職して2年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

1987年 1月15日 渋谷ラママ
             2月16日 渋谷ラママ
             3月13日 渋谷ラママ
毎月ラママでライブをこなしている。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

1987年、バンドMGは渋谷のラママに月1回のペースで出演していた。
対バンはGDFと組まれる事も多かった。
今回はGDFの話である。

GDFはグラムロックを「悪く言えば」軟弱にした感じのバンドだ。
外タレで言えば、ガンズ&ローゼスではなくハノイロックスだ。

結成は1985年で俺達MGより1年早い。
1期GDFはベース源五郎、ギターS、ドラムOが在籍していた。
しかし、全員ZGYに引っこ抜かれる。
この頃は、もう3人ともZGYに移籍していた。

ベースの源五郎はGDFのボーカルのJの大学の後輩だった。
初対面の時は自慢のベーシストとして紹介してもらった。
彼の脱退が一番Jにはきつかった様に思う。
この後、GDFのベースが固定出来なかったのも頷ける。
しかし、彼を責める訳にはいかない。
バンドマンは自分でバンドを選ぶのが自由だからだ。
俺も何人もの人を裏切ってきた。

1986年の夏頃だったと思う。
源五郎達が抜け、Jは新メンバーを探していた。
ギターのHちゃんはMGに在籍していたが、GDFに移籍する事になった。
Hちゃんの音がMGよりGDFに合っていたからだろう。
GDFのボーカルJとMGのボーカルWは仲が良かったせいもある。

そして、GDFのメンバーはボーカルJ、ギターHちゃん、HakuA、ベースO、ドラムDebuの5人になった。。
このメンバーが2期GDFと言ってもいいだろう。
この後もベースはちょこちょこ変わるが、他のメンバーは不動で30年続いていく。

悪魔

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   Debuとは同じドラマー同士よく話をした。
彼は名前の通り太っていた。
太いが筋肉質でいわゆる運動神経の良いデブだった。
頭はリーゼントで固めていて、どちらかと言うとロカビリー系のロックンローラーだ。
速い8ビートが得意で、どこか世良公則&ツイストのふとがね金太を思わせる。
最年少で愛されキャラだった。

ボーカルのJは、そんなに酒が強くないくせに毎日の様に新宿ロフトのパブタイムに現れた。
持ち前のしゃべくりで、ARB、アナーキー、パーソンズ、ハートビーツなどの弟分になっていた。
とにかくJは兄貴分のバンドの行く所には必ず登場していた。
それに倣うかの様に、MGのボーカルWも負けずと飲みに現れていた。

2人は似た者同士のライバルなのである。
2期GDFとMGの結成が同じ位であったのも大いに関係しているだろう。

それだけに、対バンとなるとお互い負けまいと競い合っていた気がする。
BOOWY、パーソンズに続くロフト出身バンドとしてメジャーデビューしたかったのである。
そして、そのチャンスも十分ある様に思われた。

この後も新宿ロフト、筑波29barなどでも一緒にライブを行った。

そして、1987年秋にGDFはキャプテンレコード、MGはバルコニーレコードがらマイナーデビューする。
キャプテンからのリリースが少し羨ましかった。

それぞれのレコードを持ってお互いツアーが始まる。
1987年暮れから1988年はツアーが続いた。

その結果は2年後に出る。

リベリアス・ヒーローズ

リベリアス・ヒーローズ

 

  1989年4月にGDFはメジャーデビューを果たした。
俺はデビュー公演を渋谷公会堂に招待されて見に行く事になるのである。


ーつづくー