酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

大学のバンド ~1985年3月 その1~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1985年、私は大学4年生だった。大学ではジャズ研究会、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃は新宿LのPLMと言うバンドに参加していた。

1985年 3月 9日 10:00入り 新宿L
大学のバンドEXPRESSOの最後のライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

俺は、新宿Lの店員バンドPLMの他に、大学のジャズ研究会のバンドにも所属していた。
大学では毎日昼休みに、部室の外でルーディメントを練習した。
部室は狭いので練習台を外に持ち出すのだ。
大学には、ドラムの練習に行っていた様なものだった。

午前中は授業の合間にドラムの練習。
誰もいなければドラムセットを叩ける。
昼休みは部室の外で練習台。
午後に授業が無ければ、サークル棟に近い学食に行く。
昼までは出してくれないビールを、13:00からは出してくれるからだ。
頼むのは決まって、ビールとサラダだった。
その後、また授業の合間にドラムの練習だ。
大学は選択する授業によっては、1時間位平気で空いてしまうのである。
俺の大学は山の上にあり、学校内以外に行く所は無い。
広すぎて外に出たらもう大学に帰る気はしない。
まさに陸の孤島だった。

ジャズ研究会の他の部員は、ジャズのスタンダードやフュージョンをやっていた。
ドラマーでは、スティーブ・ガッドが神の頃だ。
俺はスタンダードをやらずに、もっぱら変拍子の曲をやっていた。
大学4年生の時には、ブラッフォードのコピーバンド「EXPRESSO」に参加していた。
ブラッフォードとは、キング・クリムゾン、イエスなどで有名なビル・ブラッフォードが結成したバンドだ。
変拍子だらけの変態ドラマーだ。
この頃俺は、プログレッシブロックにはまっていた。
お気に入りはUKのテリー・ボジオだ。
部屋に1枚だけ貼ってあるポスターもボジオだった。
テリー・ボジオの影響でロートタムを買った。
8、10、12、14、16インチで5個だ。
楽器屋に無かったので、日本中から在庫を取り寄せになった。
おかげで、固定する金具やネジの長さなどはバラバラだった。
このドラムセットは新宿Lの倉庫に置かせてもらっていた。

 さて、ライブの話に戻ろう。
何日か前に、六本木のピットインでも演奏していた。
そして、1985年3月9日、新宿Lの昼の部。
卒業記念のために結成したバンド「EXPRESSO」ジャズ研究会最後のライブだ。。

10:00、新宿Lに到着。
倉庫から、自分のドラムを出す。
ステージに運んでセッテイングをする。
普段から、新宿Lの店員バンドPLMではここで練習しているので、慣れている。
すぐにリハーサルが始まった。

ブラッフォードの曲は覚えるのが大変だった。
特に「ヘルズベルズ」と言う曲が厄介だった。
毎日少しずつコピーした。
重要なおかずは譜面に起こして練習した。
それをハイハットスタンドに貼った。
これを見ながらでないと叩けない。

本番が始まる。
大学関係者などで客は入っていた。
1曲目は、問題の「ヘルズベルズ」だ。
キーボードがファンファーレの様に鳴る。
ジャーン、シンバルからドラムも入る。
暫くは繰り返しなので大丈夫だ。
中盤展開が変わる。
譜面を見ながら叩く。
最後のファンファーレまで辿り着けばこっちの物だ。
大きなミスも無く何とかやりきった。
その後、ゴングやキング・クリムゾンの曲など40分くらいのステージだった。
練習より上手くいった。
メンバーも皆満足そうだった。

この時録音したカセットテープは探せば家にあるはずだ。


ーつづくー